皮革関連産業の歴史と木下川小学校


5.木下川小学校前史
 ずっと昔、木下川の子どもたちは、今の東墨田三丁目にある万福寺で勉強していました。お寺でお坊さんに字や計算を教わっていたので、寺子屋といっていましいたが、明治になってから、今度は京成荒川駅の近くのお風呂屋さんを教室に直してそこで勉強するようになりました。ここは「木毛川(きげがわ)学校」と呼ばれ、生徒の数は三十名ぐらいでした。
 木毛川学校は、後に今の八広三丁目の正覚寺にあった学校と一緒になって「大木尋常小学校」という名前に変わり、「木毛川学校」は大木小学校の分教場になりました。
 大木小学校は、それから25年ぐらい続いていましたが、1913年(大正2年)に廃校になって、代わりに新しく第三吾嬬小学校が建てられました。木下川村を始め、木ノ下、大畑村など周りの四つの村の子どもたちは、初めてここで、一緒に勉強ができるようになったのです。
 しかし、1927年(昭和2年)になって、近くに第五吾嬬小学校ができたので、木下川の子どもたちは、今度はそこに移り、10年ほど第五吾嬬小学校で勉強していたのです。

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